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清原が薬物所持で逮捕 原因は?離婚? 

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元プロ野球選手の清原和博が逮捕されていたことが昨日のニュースで明らかとなった。



清原は1985年何もの入りで西武に入団。ドラフト一位。

その後、読売ジャイアンツ、オリックスバファローズと渡り歩き、2008年に引退。

キヨの愛称でチームではお祭り男として活躍。

当時清原がドラフト一位に選ばれた時は、甲子園通算最多本塁打数記録保持(13本塁打)を掲げ誰もがうまくいくと思っていた。

怪我との戦いの日々



清原はまさに男気あふれるプレーで会場を沸かすものの、その代償として怪我のリスクがすごく高かったのだ。


1999年、試合でクロスプレーがあり、靭帯を断裂。その年を棒振った。

それから肉体改造に励み、輝きを見せたように思えたが、やはり怪我には耐えられなった。

翌年以降、怪我の負傷チームを離脱、結果的に1999年以後の規定打席到達は2001年のみとなってしまった。


離婚を経験









さらに清原に追い打ちをかける事態が。
プロ野球生活を二人三脚で歩んできた清原の奥さんとの離婚(2014年9月22日)。清原との2人の子の親権は元妻にわたった。

原因は億足となるが、薬物疑惑、刺青となにかと話題を起こし、これ以上ついてはいけないと思ったんではないだろうか。


清原の直筆の本に「反骨心」があるが、
実は、巨人時代から刺青を入れようと思っていた(その時は、母親に反対されたためしなかった)
と書かかれている。





清原逮捕







2016年2月2日、清原和博(48)が薬物所持で逮捕、というニュースが。

プロ野球選手と狭き門をくぐりぬけてきた清原だが、逮捕されてはどうしようもない。

ネットでは「輝かしい成績を無駄にするなよ」や「残念」という声が目立つ。
清原にしかわからないつらさがあったかもしれないが、ほんとに「残念」の二文字。


子供たちに夢を与えることすらできるプロ野球選手になったのに、最終的には反面教師になってしまった。


清原は過去に、
 「将来的にまず二軍監督となってキャリアを積み、そして最終的には一軍監督として日本一になりたい」とも語っている。併せて、現在は球団経営者を目指している桑田とは、監督同士としてKK対決をやりたい」
という希望も語っていたが、その夢のほぼ不可能になってしまったわけだ。


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